和 銑 鉄 瓶
わずくてつびん


赤目和銑

赤目和銑
桜鉄瓶
赤目和銑
桜ちらし鉄瓶
赤目和銑
総霰平丸鉄瓶
赤目和銑
細冨士鉄瓶

真砂和銑

和銑真砂(わずくまさご)鉄瓶 松竹文
 撮み/銀/南陵製 蓋/特製唐銅蓋製
和銑真砂(わずくまさご)鉄瓶 双鳳文
取手/銀象嵌 蓋/特製唐銅蓋
和銑真砂(わずくまさご)鉄瓶 駒ノ図
撮み/銀/南陵製 蓋/特製唐銅蓋



和銑(わずく)について


日本の鉄は、江戸時代まではすべて砂鉄を精錬(たたら製法)して

造った鉄(和銑—わずく)であった。

砂鉄を精錬して(たたら製鉄)材料を造ってきた。

砂鉄を精錬して数種類の材料ができる。


*玉鋼(たまはがね)—日本刀に用いる材料 

*和銑(わずく)—茶の湯釜や鉄瓶などの鋳物に用いる材料

*しぼり(鋤、鍬、包丁)   *他不純物の多い鉄



鉄瓶や茶の湯釜などの鋳物に使う和銑では2種類あり、最高品質は真砂和銑(まさごわずく)、次が赤目和銑(あかめわずく)である。

*ということで、砂鉄鉄瓶と言う鉄瓶はどんな材料を使っているのかわからないのである。砂鉄といっても下品から最高品まであるのである。   

時代が下り明治時代(1868年〜)になると、産業革命で興った鉄鉱石から造る鉄の技法が日本に広まった。鉄鉱石から造られる鉄(洋銑ようずく)でつくられた鉄瓶は錆びて朽ちるのが早く、保っても100年で腐れる。しかし和銑の鉄瓶は、材質が硬く錆びも硬いので毎日使っても100年は使える。昭和初期には難しい製法の和銑鉄瓶の製法は日本で絶滅してしまった。

太平洋戦争後に、当家13代、14代、故初代長野姪志(茶の湯釜製造で初代の人間国宝—当家姻戚)らが和銑釜、鉄瓶の復興をはじめ約20有余年をかけて復興したのである。

その際、日本で最後に精錬された(日本最後のむらげが精錬した)真砂和銑材がふんだんにあるのは、その為です。日本で正当な帝国砂鉄の和銑材です。

この技法と材料を現在の当家15代目正直が守り続けているのです。


 

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